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坐る前後のこと

足を組んで坐る、というのは特殊な姿勢で、座布団に坐るということでさえ

畳の上で仕事をしている人は稀で、家でも洋間中心であろう。

正座という坐るスタイルも、畳ができてから定着したスタイルで、板敷では

立膝が一般的だったと言われている。

「長時間安定した姿勢」というのは、居住環境によって変わってきたという

証左がその変化であって、箸と茶碗に対して、皿とナイフやスプーンのスタイル

との優劣を比較するのと同じである。

 ただ、坐り方はいろいろでも、準備作法というか、ウオーミングアップという

のは有用で、いきなり静坐をすると、身体がしっくりしない、呼吸が調わない

など、調整しているうちに、時間終了ということになったりする。

 坐禅における、調身、調息、調心、というのは、坐ってから行うのでは

なく、坐る前に準備ができていると良いのだが、一日中が修行という寺でも

なければそんなことはできない。

 では、どうするかというと、この静坐会では、ヨガなどで身体の歪みを調え、

一分間音読で、呼吸のリズムを調え、自分自身の状態を観たのちに、坐ることを

試行中である。 

 この猛暑の中、クーラーの効いている室内とはいえ、身体を動かしたあとは

小休止で、お茶とお菓子。音読をやったあとも題材の明治や昭和の文豪や詩人の

エピソードなどで、またもやお茶とお菓子。持ち寄ったお菓子のエピソードを

聞くのも楽しい。

 茶話会の合間に、静坐もあるような? 「これって本末顛倒」という気もしない

ではないが、雑談も楽しいし、坐るのもいいね。という会で、ひとまず良いのでは

ないか、と、今のところ思っている。

 

静坐の時間が短いではないか? そう思う人もいるだろう。

スポーツジムで筋トレは一種目どの程度やればいいですか?と聞いたら、

時間ではない、正しい姿勢と方法なら数十秒でいい、そういわれたことがある。

45分坐っても、3時間坐っても、気持ちがずっとキョロキョロしていたら、

坐っていないのと同じだ。

まず、ひと呼吸、その次に10回の呼吸、その時に出る息、入る息になりきれたら

いい。普段のその時、その時にフーと息を吐きだして、即それができたら、

十分だと思う。

波風立たない順境の時はできるかもしれない。

では、大嵐の時はどうか?

大嵐の時は、防備する、そしてできる限りのことをやってジタバタする。

万策つきれば、冷静になって力が抜けて自分を投げ出す。

 

静坐というのはフーと息を吐きだして身体のそして気持ちの余計な思いを

投げ出すこと。得るためではなく、捨てる動作。

それには、身体と気持ちが凝り固まっていてはできないことなのです。