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静坐で横着をしない

24日の土曜日は、参加者はいなかったので、身体をストレッチし、1分間音読は

一人でしたが、数人分のを全部読み、それから経行というか、とてもゆっくり

畳の部屋を足の裏や身体の重心がどう移動していくのを観察しながら歩いてみました。

そのあと、30分の静坐を2回。気持ちが途切れるのが早く10分おきに時計をみてしまい

ました。そういう時もあります。茶話は一人ではできないので省略しました。

もって行ったお菓子とお茶は私の来週のおやつになります。

 

 金曜も休みでしたので、片岡鶴太郎さんの『心の中に「静」をもつ』という本を

読みましたが、鶴太郎さんは絵や書のほかヨガを6年間やっているそうで、きっかけは

更年期障害だったようです。ヨガの瞑想のひとつであるラージャヨガというのでは

始まりから終わりまで8つの段階があって、7つ目の段階でようやく瞑想となるようです。

身体を動かすのもいろいろ段階があるのでしょう。朝一日4時間ひとりでやっている。

8時には出かけるのでそのために3時起床なのでそうです。

徹底さはなかなか真似ができないなぁ、と思いました。

みんなでやることは楽しいですが、深めるという時はやはり一人自問自答しながら、

というのが、どんな道でも必要ですね。朝とか夜更けというのはたとえ10分でも

良い時間がすごせます。私は10分だけサボリながらもストレッチや静坐をし、

朝は20分ほど字を書いています。

 

 日曜には、裏千家の鈴木宗保さんという高名な業躰でおられた方の本を読み始めました。

『茶の湯随想』という本ですが、はじめのころ京都に行って松雲老師と会われたことが

書いてあります。大徳寺第486世であったそうですが、相見の時に巻紙にさらさらと

書いて渡されただけで一言もおっしゃらなかった、とあります。

それには、雲門三句 雲門禅師ハ 唐代禅宗五流之開祖也、接衆ニ此三区ヲ用ユ

函蓋乾坤 載断衆流 随波逐浪 とあり、それぞれその意味が書かれていたが、

 このうち、裁断衆流については

一法ニ執着ヲ截断スル、

タトヘバ、佛法八宗九宗アリテ、一宗凝リツキ、他ノ宗ヲ打チ砕く悪執ヲキルコト。

茶家モ、各流ヲソシリ、我流ヲ好ミ、認テ執着心ヲキルコト、万事如首

 であったとのこと。

 

静坐、坐禅、瞑想、マイドフルネス、等々 いろいろ似たようなものがありますが、

それぞれの人にあうもの、あう時などがあるものです。

この静坐会で、いろいろな方法を試してみるのも、そういう気持ちです。

今は、やって来てすぐ坐って、ハイ静観になりましたよね。というのはよっぼど

の人で、身体のストレッチや呼吸のことやらを十分に練ったうえでないと、静坐

にならない前に終わってしまう人が大勢いる、と思って工夫してやっています。

また、毎回同じことをやればいいや、と横着してはいけないのだと思います。

 

それから、

言葉を交わさず、それでいて、人との面談が長く印象に残るもの、というのが

あるのだ、ということ、そういえば、私にもあなたにもあるはずです。

言葉で表現できないものがあります。時として言葉を使って横着してしまう

ことがありますが、そこは言葉に出さないほうがいい、ということがあります。

そういうことも大事にしたい、と思うのです。

 

角倉木槿というのが、この場面のあとすぐに出てきます。

どんなだろう? と思いながら、近所の木槿を写真に撮りました。