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数息観のありかたさ

公民館での静坐会も5カ月目に入りました。

 

いつもは洋菓子が多かったから、おせんべいも

たまにいいのでは、と準備してみたのですが、

10月1日は誰も来なかったので、一人でゆっくり経行して

マインドフルネスのようなことをしてみたり、片岡鶴太郎さんの

ヨガの前の準備体操をひととおりやってみたり、1分音読では

幸田露伴の努力論の中から、幸福三説の部分を読んだして、

思いの他、充実しました。

 

ところが、肝心の静坐がどうもいけません。気持ちが散乱します。

上期の仕事の不芳を下期どうしたらいいか、などと考えている

自分がいます。沢山の分野がある会社のトップなら、全部がうまく

いくことなど考えないのだろうな、赤字でも平気な顔をして経営

しているように見えるな、などと自分を納得させようとしたりします。

 

1回坐ったあと、観音経を読んでみましたが、誰かが助けてくれる

わけもないとわかり、数息観をやってみました。

そうしますと、他のことを平行してやれるほど器用でないので

仕事のことは頭に出てこないのです。

坐禅道場に通う前に、お寺で3年、月2回早朝通った時に教わった

数息観、これが自分の波立つ頭を規則正しいリズムに変えていく

ことを感じました。

 

もう亡くなって久しい和尚さんでしたが、毎回終わるとふるまわれ根

梅湯(ばいとう)、年2回プロの落語家さんにおいでいただいて開催した

落語会と、そのあと持ち寄ったお酒と建長寺直伝のけんちん汁の味、

を懐かしく思い出しました。

 

用意したお菓子とお茶は、次の時にでも使いましょう。