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集中もいいけれど

静坐の時より、その他の時間の方がずっと長いのは、坊さんも我々も一緒だ。

では、静坐とは何なのか?

リフレッシュや集中、ありのままを見るため、まぁ、目的はいろいろで、

静坐は静坐のため、なにかの功徳を求めてというのは違うだろう、

という人もいるだろう。

 

中野信子さんの『あなたの脳のしつけ方』という本を読んでいたら、

生命を守るには外界にまんべんなく注意を向ける、つまり散漫なことが必要で、

集中してしまうことは、生きるためには危険を感知できなくなる異常な状態

なのだ、そうだ。

ただ、集中が必要なら、視界から集中するもの以外置かない、スリープ状態

をつくる、とにかくやってみる、キリが悪いところでやめる、などを提案して

いるが。これは禅道場の摂心会と同じ方法である。

直観は判断は早いけど間違えやすく、熟考は判断は遅いけど合理的って、

中野先生は書いています。まぁ、人間社会では集中は時には必要なのは、

誰しも感じていることだろうと思います。

 

しかし、普段、集中ばかりを繰り返していられる人は稀で、集中なしで良い判断

をし、周りと調和するためには、規範やら知識やらとその使い方ということになり

ますし、世間話や雑談というのも、実は大事で、人と人をつなぐものでしょう。

いわゆる「愚痴」というのだって、仏教語ではあるが、答えの出ないものでも

ちょっとした悩みを吐き出すだけで、結構ずっきりすることもあります。

仏教のいう愚痴とは別ですね、これは。

 

 ということで、10月22日の静坐会は、ハロウィンのマシュマロやフイナンシェ、

タニタ食堂監修のカルシウムせんべいに、水だし玉露での茶話会に花が咲いた。

 もちろん、調身のために「ぶぼらヨガ」もやったし、調息のために宮沢賢治や

谷崎潤一郎、北大路魯山人、中原中也などの「1分音読」もたくさんやったし、

静坐だって、30分しっかりやった。どうだ!!

 

って、メインイベントがたくさんあって、楽しい会でした。