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横着

横着というのは、もともと仏教の言葉だという。

勤行を怠けて行わないことから、やるべきことをやらないで

いる状態という意味に転じたようだ。退屈という語が修行を

やめてしまうことが語源というのを前に紹介したが、怠屈から

退屈になってしまうのだろう。

 

とはいえ、ひとりだけで自分を律するというのはなかなか難しく

団体の同一行動がそれに対する良い方法というのでソウギャという

僧伽と漢字で書き、サンガともいうが、それができたのであろう。

 

六月から静坐会を開始して、毎回なんらかの工夫を考えてやってきた

から横着はしなかったはずなのだが、開催している限りそれは続けて

いこうと思う。自分にとっても参加してくださる方に対しても、

真面目な態度というのはそういうものだと思う。

 

今年の秋からのマイブームは、コミックの『とめはねっ! 鈴里高校書道部』

だった。初めはただ面白く読んでいたが、文字の成り立ち、文字の書き方

について先生が説明する場面があって、14巻をまた読み始めている。

一文字の終筆から次の文字の起筆に移る前に、筆を終筆から離さず、

お手本と見比べて次を確認した後に行う、というのは、硬筆の練習を

している私にはとても参考になった。当たり前のことなのだろうが、

私の教室の先生からは聞いたことはなかった。

この、ひとこきゅう(一呼吸)と言ってもいい動作は、仕事でもお茶の

動作でも同じである。

仕事や、普段の生活にこの一呼吸はできていたか、勢いや無頓着に流れに

任せていなかったか、つまり横着はしなかったか、と言われると、し放題

だった。仮に一人ではなく団体行動をしていても、みんなが横着だったら

意味はない。

 

静坐では呼吸をする。吸う時、吐く時、そしてその転換点を大事に

行う。そしてその静坐での一呼吸は、生活のあらゆることでも同じなのだ。

 

いつもできればいいが、そうそうできないが、少しでもできるように

努力する。それが来年の課題である。

 

蛇足にひとつ。

中国には、「書法九養」という考えがあるそうです。

「神」「心」「目」「美」「正」「学」「気」「敬」「礼」

忍耐力、観察力を養い、美の心を会得し、礼儀を重んずる。

静坐をやるより、「人を養う」ことができるのかもしれません。