『宿無し弘文』というアメリカに渡った禅僧の話を
読んでいました。スティーブ・ジョブズが敬愛した僧
とのことですが、アルコール依存症だったようです。
私生活も三度結婚して、いずれも家族は幸せとはとても
思えませんでした。
ジョブズは、坐禅の集中による直観を得たようですが、
禅とか坐禅を、それを目的として行うなら、マインドフルネス
の方が、よっぽど効率的でしょうが、神秘性とか、なにか良い
ことを期待する、とか好ましそうな人がいるから、ということ
で始める方もいるかもしれません。それでいいのだと思います。
禅とか坐禅は、私生活の幸せや成功を目的にしていません。
ですから、弘文さんのような「共に地獄に落ちましょう」的な
生き方もあり、なのですが、「なにも秀でることのない平凡で
面白味もない人だが、人の邪魔や迷惑をかける人でもない」
という生き方の方を私は選びたいと思うのです。
宮澤賢治の雨にも負けず、のような堅固な意志を持つことは
できないけれど、今できること、ささやかだけど、人の荷物を
10分だけ替わって持ってあげよう、でいいのだと思います。
このごろは、禅や坐禅でも誓願すら意識共有が十分とは思えない
のですが、何をするにせよ、自分の欲を満たすことが目的という
と自然に顔つきがそのようになっていくのを見ます。ストレスが
かかるせいでしょうか、不調や病気がちであったりもします。
自分を後にして、という生き方をしている人はそういう顔を
しています。こういう人も病気はしますが、心まで病むことは
ありません。
さぁ、来週14日も静坐会。休憩の時の茶話会では100円のお菓子
をみんなで分けて静坐のひとときを共有したいと思います。