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花まつり 考えるヒント 選択

4月8日は二カ月ぶりの静坐会。花まつりということで、

正装で臨もうと、袴や着物それに足袋まで準備中である。

和服は全部捨ててしまう予定なので、4月8日が着るのは

最後なのだが、さて、花まつりについて尋ねられたら、

何を話そうか? そうかといって、黙って天上天下唯我独尊

を仕草で示したらあきれられる。

 

 ところで、昨日は小林秀雄著『考えるヒント』の冒頭

「常識」というのを読んだが、考えることのルーティン化、

計算機的思考の事が書いてあった。花まつりと聞いて、お釈迦さま

の生誕、仏教、そして、その次に来るのはなんだろう?

「とってつけたよう」という表現があるが、答えをクイズの

ように短い間で出す必要はないのだ。

それをやると、頭に浮かぶいつものパターンになるのがせいぜいだ。

つまりは、用意された答えの反復、「計算機的思考」となる。

 仏教の創始者のお釈迦様は、パターン思考はやめて考えること

を選んで、その中から「選択」したものが今に伝わるものである

と思う。つまり、それまでの既存宗教の影響を取り入れつつ、

オリジナリティが高いものだ。

ちなみに、坐禅というのは、仏教が創始ではない。その時に

既にあった方法を用いて瞑想に入った、というのが正しい理解だ。

 

ところで、浄土宗の法然さんは「選択集」というのを書いたが、

数ある仏教の方法から、「せんちゃく」したものを提唱し、

それが今に伝わっている。そう、法然も日蓮も最澄もみんな

「選択」して「専一」したのが、仏教の各宗派だ。

 

花まつりを去年もやったから、同じように今年も、というのは

伝統の名を借りた「横着」であり、「計算的思考」であると

思う。仕事でも勉強でも「横着」をし続けたら、大成功という

話は聞いたことがない。

どうしたらうまくいくだろう?と今はやりのチャットGPTを

使ってみる、というのは、どうも「横着」のように思えるのは

頭が固いせいだろうか?

 

花まつり、とはそういうことを想起させてくれる一年に一度の

行事であると心得る。

 

大事なことは、ただ惰性のように繰り返さないこと。

いろいろ考え実行するものを選び、試行してみても、これは失敗、

これは成功と分別しないこと。

どれを選択し実行し、どんな結果が出てもすべてが意義のある

ことなのですから。