人と会話していて大事なことは「黒白をつけない」ということだと思う。
会話は勝負でも試験でもないから、Yes ? or No ?という場面は少ない。
仕事でNOと言いたくなるような上司の理不尽な時でも、NOといわず、
「あなたはこういうことをいいたいわけですね。」とオウム返しにして
おくだけで受け流すことにより、対立を避けることができる。
人生は、スイッチのように、ONとOFFの切り替えではない。
名前は忘れたが、ある本にこういう一節が書いてあって、腑に落ちた
ことがある。
「人生は単純なストップかゴーの二択ではなく、長いタイムスパンで打席に
立つようなものだ。ハーフスイングもあればヒットも空振りもある。」
人は、話すか聞くかどちらか選択するだけではなく、考えも判断もしない
時間というのがある。これを「間」ひらがなで書けば「ま」である。
「人間」という文字は「間」が大事だよ、ということかどうか知らないが、
最近静坐していて思うのは、呼吸によって心と体を練っていくときに、
「吐く息」「吸う息」の間の「間」つまり、ニュートラルな数秒が
とても大事だと思う。
たいていの本は、副交感神経の活性化のためには、吸う息4拍に対して
吐く息8拍などと書いているが、吸う息と吐く息との間には、「間」が
あるのだ。吐くとき、吐く息のそれぞれの数拍の間にも間にも間があるのだ。
その、「間」があるからスムーズに次につながるのだ。
そして、同じクラシック音楽の楽曲でも演奏家によって違いを感じるように
呼吸の「間」にも体の個性に応じた違いがあるはずで、一様ではない。
4拍吸って、1拍止めて、8拍吐く、といった「機械的」にやれば、ハイオーケー
というものでもないし、しっくりいかない人も多いだろう。
曹洞宗の道元さんからすれば、習禅だ、というだろう。
この点の工夫がそれぞれにとってとても大事だとおもうのだが、工夫というのは
自分の状態を確かめるということであって、次はこうしたらよい、次の段階は
これだ、というような「上達をめざす道」ではないとも思うのだ。