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一本の線をひく

22日は今年最終の静坐会でした。

静坐というのは特別なことをするわけでは

ありませんから、特別なことが起きるわけでも

ありません。毎日ご飯を食べたり、本を読むたび

に新しい喜びや発見があるわけではありませんよね。

それとおなじです。

 

日常とは別に非日常なのだから特別なことが起きて

ほしい、と思いたい方もいるでしょうが、テーマパーク

で夢のような体験を期待しているのと同じだと思います。

それはそれで楽しいので、静坐にそれを期待する人は、

静坐よりマッサージや自己暗示などが向いていると思います。

 

それでは、静坐はなにか禁欲的かというと、そういうもの

ではなく、アレっ、今日はスッキリだったな、アララ、今日は

あれこれ考えているうちに終わったね、という変化に気づくだけで

十分だと思うのです。ココロを思うとき、不滅で常住な実体は

ないのか、時空を超えた不滅で常住な「仏性」があるのか、と

真面目に念慮する人もいるかもしれませんが、それもいいこと

です。

 

こうであるべし、とは静坐の世界になく、「何か」や「誰か」

と比べるものでもなく、到達点までのどこまで登ったか、

を確かめるものでもないと、考えます。

 

私は、ペンやこの頃は筆ペンで毎日文字を書いているのですが、

普通なら数カ月で書けるであろう、

横一本の線、縦一本の線が書けません。

教室でひと月ごとに課題が変わり、そのうちあいまいでも昇級して

いくのですが、これではだめだな、とやめてしまいました。

そして、同じお手本を繰り返し書いています。

 

そうすると、たまにアレっ、この線は、と思うことがあります。

どうしてこんな線が引けたかわからないのです。

剣道でいえば、会心の面一本ではないかと思うのですが、本人は

相当上達しなければ、どうしてそうなったか、自覚ができない

それかもしれません。

 

そうした傍から見ていると、何の役にも立たないことにセレンディピティ

を感じる人もいるでしょうし、何か他のことを思う人もいる、それで

良いのではないかと思います。

 

こうあるべし、というルールは最低限にして、お菓子を食べたり、

好きな本を朗読したり、体のメンテプログラムをやってみたり

静坐もする。

 

来年もそういう場を継続していきます。

 

今年読んだ、感動の マンガ

『とめ、はねっ、鈴里高校書道部』には、一本の線を

何週間かずっと書くことを先生から言われる初心者が出てきます。

そして、最終巻に、一本の線をこく、という語が出てきます。

別の生徒が三年間書いてきて、思った語です。

 

来年は静坐会は、一本の線をひく会になっているかもしれません。(笑)