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音のこと

今日3月30日は、今年度最後の静坐会でした。

しかし、「今年度」というのは変ですね。

会社でも学校でもないのです。静坐には進級も

蓄積もありません。何年やったから何かがたまる

ようなものでもないのですから。

 

それはさておき、今日は坐る前の体のメンテナンスに

首の体操を5分ほど加えてみました。そのあと、10分

坐り、それから一人は経行、一人は面壁静坐で10分ずつ、

持ち寄りの本を音読を10分、お茶タイムのあと、20分の

静坐というスケジュールでした。

 

好評だったのは、10分の経行(きんひん)。ゆっくりと足の

感覚を確かめて、私は10分で20メートルくらい歩きました。

自分の身体のバランスの悪さをはっきり感じました。

 

音読では、「音」と「音のリズム」の話が面白かったです。

何の話だったか全く覚えていないのですが、話してくださった

方は、その童話らしき話で、鈴木大拙のなにかの話の部分が

わかったのだそうです。中国の禅僧 香厳禅師みたいですね。

そういえば、隻手音声、という白隠さんの公案もありましたね。

 

音といえば、私は親や友人の顔の記憶が薄らいでも、声は

覚えています。30年も40年も前にお世話になった方、すでに

故人ですが、その人の声も覚えていますし、もっと前の声も。

死ぬときは、目は見えなくなっても耳は最後まで聞こえて

いる、という話も聞いたことがあります。

世界は、光から生まれたのではなく、音とリズムから

ではないかな、と思ったりします。赤ちゃんも泣き声から

始まるのですよね。

 

私は、『元気の出る俳句』(倉阪鬼一郎編)から、いくつか

読みました。

 読み忘れた句があります。寺田寅彦の句

 

 客観のコーヒー主観の新酒かな

 

毎日コーヒーばかり飲む日が続いて、お酒はほんと

ご無沙汰しています。